RUNとメンタルと遠距離恋愛

新社会人で鬱になった当時の心境と変化したきっかけ

 
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米国認定NLPプラクティショナー取得・元靴職人 10代の頃から憧れていた夢の職場で働くも、2年目で鬱を発症。 心理学を学びながら行動していくうちに自力で克服。 常にいい方法はないか調べながら検証しています。 現在では資格を取得してカウンセリングも行っています。 趣味は読書で月に5~10冊です。 サッカーとラーメンが大好き!

「うつ病」といえば、几帳面で真面目な人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至る傾向が強いといった特徴が見られる症状です。

わたしは20歳で就職し、研修を終えて、配属された半年後に鬱になりました。

そんな当時の心境をここにまとめます。

鬱は日本でも多い病気

2015年、わたしは鬱になりました。

原因は、人間関係です。

鬱は今、15人に1人発症していると言われるほど、多い心の病気です。
小学校のクラスで考えると。1クラスに2人くらいいることになります。
わたしはその一人に入ってしまったわけです。

昔からそんな気質があったのかと聞かれたら、ありません。

溜まりに溜まって起こるものだと感じました。

期待をもって働き始めた新社会人

約1年の研修からようやく配属されて、希望に満ち溢れた毎日を送っていました。

そして配属先では仕事ぶりを評価され、たった半年でチーム内の異動が決定しました。

わたし;「よし!上司にも認められている!これならうまくいく!」
そんな良いスタートダッシュをきれたと思っていました。

けど、現実は違った。
これが僕にとって鬱の入り口だったんです。

ただただ疲れる毎日…

異動先は3人で仕事を回すのが基本なのですが、まったく機能していませんでした。
ある先輩は本業を疎かにして、やりたいことだけをやっていましたし、
目の前で長い間、雑談して業務を放棄していることも多々ありました。

そしてもう一人の先輩は、作るもの全て不良にする人でした。

先輩が起こしたミスを次の工程の人から指摘されます。
誰が?”わたし”がです。

しかもキツイ言葉で罵られながら。

理由は”あの人に言っても変わらないから”

「いやいや待ってくれよ…おれ関係ないやん…」

そんあ風に思っていましたが、それがその職場の常識だったようで、誰も助けてはくれませんでした。

昼休み、飯も食わず働きました。

不良品をつくる先輩には

「おい、昼休みやぞ。休めよ。」

そんな風に言われることもありましたが、

「わかってますよ!!(あんたのせいでこうなってんねん!)」

そんな気持ちで働きました。
サービス残業もしました。

他の人は帰っているのに、一人で…。
やりたいことをしたくて今の部署に来たのに、理想と全然違うこのギャップ。

上司に相談しましたが、

「先輩社員の後始末は、お前の十字架だ。」

そう言われる始末…。

どうすればいいかわからなくなりました。

そして、だんだん自分の口数が減っていくのを感じました。

私生活もうまくいかない…

仕事以外では、先輩に連れられ、合コンへ行くも、全く相手にされません。
人気があるのは職場で雑談ばかりしていた先輩です…。涙

非常にユーモアあふれる先輩なので、人を引き付けるのが上手でした。

日に日に身体が怠くなる。夜中に目が覚める。
食欲が減る。当時は話す相手もいない。

大阪から兵庫へ一人で来たから、周りに友達がいない。
信頼できる人が近くにいない。
土日、ケータイの通知は一切鳴らない。辛かった。

孤独でした。

仕事でもプライベートでも、全てを否定されているような感覚でした。

そうして、これって鬱?そんな疑問を抱き始めました。

逃げ場のない感覚

インターネットでストレスチェックを何度もました。
「僕が鬱になんかなるわけない。そんなわけない」

そう思いながらも、何度もました。
結果はすべて同じです。病院へ行きましょう。

「もうしんどいな…。病院行って、鬱の診断もらおうかな。」
そう思い始めました。

そんな時、同期からある言葉をもらいました。
「鬱の診断が会社にわたったら、人事に×をつけられて出世できんなる。なんとか我慢したほうがいいよ!」

そして逃げ場がなくなりました。

出世はしたいと思っていましたから。

けど、今のままでは押しつぶされてしまう。

どうしよう…。

もうどこへ向かえばいいかわからなくなりました。

孤独と向き合った日々

どうせやることもないし、とことん孤独と向き合いました。

寒い冬、やることがないから、近くの海へ行きました。
ザァーザァーと波の音、少し冷たくて気持ちいい風。
ホット紅茶を自販機で買い、持ってきたトッポを食べていました。

2,3時間はいたかな。ずっと自分と向き合ったと思います。

「どうすればこの現状を打開できるか」

「どうすれば充実した毎日を送られるか」

「このまま定年までこんな働き方をするのか」

「人に好かれるには何をすればいいか」
ひたすた自問自答していました。

そんな自問自答する時間が楽しくて、海にいくことが毎週の楽しみになっていいました。
その時だけが唯一、リフレッシュできる時間だったんです。

そしてふつふつと今までと違う想いが込み上げてきました。
”このままではいけない。変わらないと。
今のままでは今のままや。変化していかないと。

強くなるんや。これは俺の人生や!”

変わるには何をすればいいだろう…?

自分を変えるために…!!取り組んだランニング

自分を変えたいと願ったので、色々探したり、調べました。

そしてちょうどいいものを発見しました。

それが”プレイングラン”
UVERworldのボーカルTAKUYA∞さんの日課、毎日10㎞を50分以内で完走する。

これや!やったろ!同じ人にできて、自分にできないわけがない!
やって人生変えたんねん。

走るだけで人生が変わるかなんてわからない。

けど全部やって確かめりゃいいだろ!という観点で実施しました。
走り始めた10㎞。
想像以上にキツかった。1kmの平均ペースは4:59とギリギリ。
初日なんとか走りきれました。

1回出来たなら、次も出来る!
この10㎞ランを走り始めて、少しずつ自分の中のナニカが変わり始めました。

仕事で何か変わったわけではないが、10㎞走ることでモチベーションが上昇。
20分以上のランニングを続けると、抗うつ剤を投与するのと同じ効果があるらしく、まさにその効果が現れ始めました。

挫折…思い切り泣いた

走れば走るほど、鬱になる前の元気な状態になっていく感覚が、確かにありました。
けど、身体が悲鳴をあげていったんです。

簡単に要約すると、まいにち走ったら風邪ひいて、我慢して走ったら41度まで熱が上がって死にかけたというお話です。

誰にも相手されず、仕事も問題なく片付け、誰からも心配されることなく。
自分の目標に向かって頑張ってきたのに、金曜日まで踏ん張ったのに、身体が気持ちに追い付かない状態でした。

一人布団で泣いたのをよく覚えています。

悔しくて、自分の決めたことすら達成できなくて、ひたすら悔しくて泣きました。

気持ちの変化

大きく変わったことがあった。

それはTwitterで唯一心配してくれる人が現れたということ。

これまで10㎞ランをして、”いいね”を押してくれる人は数人いた。

”いいね”って良くも悪くも相手の気持ちがわからない。

そんな中、唯一心配して仲良くしてくれたのが、後になる僕の彼女でした。

10㎞走ったら死にかけた話

上記にも書いていますが、走ったことでメンタルが変わり、そして彼女もできました。

やってよかったか?と聞かれればYesと答えるけれど、もう41度の熱を出してまで走ろうとは思いません。

ですが、かわるきっかけをもらったランニングだけは続けていこうと思います。

ただし、45分以上のランニングは身体によくないと最近の研究で言われていますので、距離は短くしますけど。

鬱の方になにかしらのきっかけになれればと思います。

それでは!

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米国認定NLPプラクティショナー取得・元靴職人 10代の頃から憧れていた夢の職場で働くも、2年目で鬱を発症。 心理学を学びながら行動していくうちに自力で克服。 常にいい方法はないか調べながら検証しています。 現在では資格を取得してカウンセリングも行っています。 趣味は読書で月に5~10冊です。 サッカーとラーメンが大好き!

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